今年も
三月。6日金曜日から、今年二度目の屋久島行き。
7月の皆既日食に併せて計画している企みの、打ち合わせと調整だ。
6年前に屋久杉の樹を糸にして、初めて帯を作ったことでこの島に通うはめになり
縄文杉も観ず、ひたすら人と会い語ってきた。
(写真は、2年前に折れてしまった縄文杉の枝。千年の年輪をもつ)
その第一段階の集大成を、この7月に形にしたくて・・・・
島外の同業者で、屋久杉のネームを使って経済活動をされる方たちがいる。
そこには屋久島は存在しないし、屋久島の人々が迷惑を被っていることすら
知ろうとしていないのが嘆かわしい。
屋久杉の伐採が禁じられて16年、許されていたエリアの材も略採り尽くした。
「屋久杉染め」に必要な表皮も、随分前から入手困難。
私が数年前に、屋久島森林管理署の所長さんと入札現場に行き、事情を話して
千年木以上の、表皮付き屋久杉を保管されている業者さんから表皮を譲り受けた。
(何故なら、表皮はみんな焼かれていたからだ。)
私が大切に保管しているのが、最後の千年木の表皮であろう。
今年の7月、この大切な表皮を屋久島で、真剣に草木染めに取り組まれている
方たちに返します。
今後、本物の屋久杉の色は、この屋久島からしか出ないことを明言しよう。
なぜなら屋久杉の幹材からは、色として見るにはあまりにも色素成分が足りないので
ある。
屋久杉の色は、1000年分の太陽と雨水と屋久島の大地の貯金であり、それを蓄えて
いる場所が、鎧の様な表皮なのだから。