幕末の尾張藩主だった徳川慶勝、時の権力「幕府」と「朝廷」との狭間にあって、一貫して貫いたのは「強い日本化と平和な民の暮らし」だった。
近代化に向かおうとする日本を、徳川の持つ既得権益に偏ることなく、「日本国・民・平和」と「現実」とを天秤にかけ、時には親族をも犠牲にしてでも大義に導いた。
激動極まる幕末から近代日本史の礎をつくった彼が、武士の姿や、会津城の戦禍後の姿を写真で残してくれている。
それも彼自身が撮影したもの。
城を明渡し、職を失った武士たちを案じて執った策は、蝦夷(北海道)の開拓だった。
悪戦苦闘する彼らに慶勝は、支援として四萬円(現在価値50億円)を送りつづけた。
西郷隆盛・岩倉具視・坂本竜馬などが表だって知られるが、その歴史の要に居た人物は「徳川慶勝」その人であったことを忘れてはいけない。
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