5年前から言い続けてきたこと、皆既日食を知り2年前から準備し始めたもの、それぞれが長い時間をかけて、あと1ヵ月後にある種の形となり、始まりの一歩になろうとしている。
残念ながら、「屋久島の和紙づくり」は、話を進めていた地区から撤退の意思表示があった。
「屋久島・子供サミット」も、協力者の満園さんが、ご自身の仕事を差し置いてまで働きかけて下さったにもかかわらず、2回目の打ち合わせ会にも誰一人集まることなく実行不可能となっ
た。そこで、私らだけでも出来る「26年タイムカプセル」を準備し、次の皆既日食に「自分確認」「世界確認」のために、自分に社会にメッセージを残す手伝いをすることにした。
屋久島として、皆既日食に併せた催しは、さほど用意されていないと聞くのだが、従来の行事などで忙しいのだろう。
しかし「それでいいものだろうか?」
新しい屋久島町を担う子供達は、この大人の後姿を見て育つことになる。
何もしないほうが良いことと、何かをして変えなければ成らない事がある中、私がやろうとしていることは、屋久島にとって、どちらなのだろう?
テレビでアフリカの子供たちの生活を目にして、「こんな事してていいのか」と自問自答するヤクザルでした。
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