永田の「いなか浜」は、随分砂が海に取られ石ころが表にでていました。
意見交換で、種子島に生まれて初めて渡りました。
ひっくり返してみたら、ビンに
くっ付いた貝の群でした。
種子島には、6年前から交流させていただいてる「元屋久島資料館」の館長さんで
山本秀雄さんがいらっしゃいます。今回は、屋久島の和紙に関する歴史と、島内での
材料使用可能な植物のお話を伺いにいきました。
山本さんの回答は、「まず自ら調べ歩き、実際にその道に携われた方たちから
話を聞きなさい。」とのことでした。
山本さんご自信の中には、明快な答えをお持ちなんでしょうが、あえて「自らが」との
指導だったので、屋久島に帰り「屋久島民族資料」を紐解くことにしました。
しかし資料の中には、何一つ和紙に関する言葉は見つかりません。
そこで人から人へと紹介して頂き、ついに材料を採取されていた方にたどり着きました。
この方の年齢は70歳半ばの方で、「”千尋の滝”の左側の一枚岩の上から、長さ30メートルの
ロープを身に縛り、岩肌に生えている材料を取っていた」と、話されました。
それも30年前の数年間のことで、それ以前のこと・それ以後のことはわからずじまいでした。
今回の4日半の日程もあっという間に過ぎ、次回7月に持ち越しです。
足掛け6年の3ヶ月置きの屋久島行き行脚、次回は島根石州和紙を漉かれている、
久保田さんをお連れして、専門化の意見を伺う予定です。
それまでの宿題は、3人のメンバーが使える材料を持ち寄ることに・・・・・
夢物語がうっすらと現実帯びてきました。
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